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サッカー ユニフォーム 日本 代表

しかし、Jリーグ発足前年の1992年に初めての外国人監督としてハンス・オフトが招聘されて日本代表が本気でワールドカップ出場を目指すようになると、ユニフォームの色は再び「ブルー」に戻された。当時、関東大学リーグで6連覇を達成しようとしていた日本最強の東京帝国大学(東京大学の前身)のユニフォームがブルーだったという理由だ。

だが、1920年代までの歴史を考えれば、代表の中核を担った東京帝大のユニフォームをそのまま使ったというのは大いにありえることだ。  その後も日本は極東選手権大会で中国やフィリピンと戦うのだが、1920年代は大会前に国内予選が行なわれ、優勝したチームが日本代表として派遣された(他のクラブから補強選手を何人か入れて戦うことが多かった)。

たとえば、1917年の極東選手権大会の時は、東京高等師範学校の海老茶色のユニフォームに、日本代表であることを示す旭日旗をモチーフにしたマークを付けて出場していたのだ。  1930年の極東選手権大会に参加した日本代表は15人のうち9人が0Bを含む東京帝大の選手だったのだ。  結成された日本代表チームは、現在の東京都練馬区の石神井にあったグラウンドで合宿を行ない猛特訓に励むのだが、当時の写真を見ると多くの選手が胸に「帝大」の文字が入ったブルーのユニフォームをそのまま着用している。

だが、日本代表の原点は今回のアニバーサリーユニフォームのような「ライトブルー」(東京帝大のスクールカラー)だったのだ。 ◆日本代表で本田圭佑の2倍、大迫勇也の4倍の得点。 1927年の上海大会で日本は初めてフィリピンに勝利したが、この時は国内予選に勝った早稲田大学が出場したので、早稲田のエンジのユニフォームで戦っていた。

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